ゆのの話

昔書いた文章です。


中学二年生の頃。

何かを結び留めていた糸がプツリと外れたように感情が表に出てきてしまい、事あるごとに急に涙が出てきたり強い焦燥感や吐き気に襲われ、通学時のバスの中や家など、一人になった瞬間に感情が溢れてしまっていました。

そんな中で起きたのが声変わり。

それが精神的なものなのか、第二次性徴的なものなのかはわからないけど、普段しゃべっている高い声が出なくなって、自分が自分で居られる唯一の居場所が、外側だけでなく内側から破壊されていくことに強い嫌悪感を覚えました。

声が出ないと言って学校を何日も休んで、吐き気と焦燥感と戦っていたら、強い痛みとともに元の声が復活します。

高い声も低い声も両方出せるようになっていましたが、低い声では絶対に話さないようにしていました。

でも、やはり安定せずに低い声が時々混じるのか、色々な人に「地声で話せ」「低い声出してみてよ」と迫られ、その度に笑って誤魔化してはいたものの、強い孤独感に襲われ、それを話せる人も、本当の意味で理解してくれる人もどこにもいなくて、高い声しか出せないふりを続けていました。

同級生には絶対に言えなかったけれど、勇気を出して、少しづつ、いろんな大人に性別に違和感のある話を話しても「女性としていきたいのか」とか、「制服でスカートを履きたいなら特別に許可しよう」とか、いろいろ考えてくれてはいるものの、結局性別を二つに分けた上で、今度は女性の枠組みの中に押し込まれるような、根本的な解決にはならない話をされて、根底にある苦しさは強まるばかりでした。人によっては、性別二元論の話を持ち出して、世の中は全て二つに分かれるものなんだから、それを議論しても仕方ないと説得してくる人までいました。

当時インターネットで話題に上がっていたLGBTという人々も、下手したら普通の人以上に性別を分けた前提の話をされていて、確かに何も考えていない人よりは多少は理解があるだろうけど、この世界の人と仲良くなれる気もしませんでした。

そもそも恋愛対象の性別とか考える余裕もないほど自分を見失っている私が、性別をもろに押し付けられる恋愛というものに関われるわけもなくて、確かにその人たちはその人たちなりに苦しみはあるのかもしれないけれど、どこかそれも違う遠い世界のように感じられて、距離を置いてしまっていました。

それと同時に強まるこの自分自身の考えの無意味さと、そもそもこの社会自体の無意味さとか、頭の中がすごいことになってしまい、行き場のない感情から親を責めてばかりいて、どうにもならなかった私は、しまいには「自分の心のカテゴリー」を求めて、「裁判所での改名の証拠に使う病名が欲しい」という口実の元に病院で診断してもらうことにしました。

たくさんの精神科の病院を断られた挙句、行き着いた心療内科で受けた診断は「強迫性障害」でした。

でも、この診断が、自分の考えが無意味だというさらなる証明にも繋がって、裁判所にこの診断書を名前を変える証拠として持っていっても一時的な考えと捉えられてしまい認められず、さらに辛くなるのでした。

中学三年生のころ、先生との話の中で提案されたこの気持ちの解決策が、「紙に書いて自分の気持ちを整理すること」です。

作文は得意だったものの、当時の私にはその嫌悪感のある内容について文章にまとめるほどの精神力もなく、その精神力を使って自分が見るためだけに書いても虚しいので、なんとなく独り言のつもりでTwitterに嫌だったことを流し始めて、本当に書けないほどの苦しいことは作詞などで乗り切りました。

言いたいこと書いて、自分で満足したら捨てたり削除みたいなことを結構していました。

ツイッターではつぶやきの反響が大きく、同じ思いを抱いた人に沢山フォローいただいて、自分が「アセクシャル」で「Xジェンダー」と呼ばれるカテゴリーかもしれないということに行き着きました。

少し避けていたLGBTというカテゴリーと近いところにいる方々が多く、嫌っていた場所にこそ本当の居場所があるのかもしれないと思えた瞬間でした。

でも、カテゴライズされたくなくて逃げた先でカテゴライズされたら、結局それはそれで苦しくて、それもなんとなく嫌になってはいましたが、でもなんとなく安心できるものでした。

でも、ネットの中に居場所ができたところで現実は全く変わらなくて、高校に入学してからも居場所がない日々が続きました。


高校では中学に増して男性嫌悪は強まるばかりで、それでも性別で分けたくないというジレンマと格闘して自己嫌悪に陥っていました。

高校時代は公共の性別で別れているトイレに入りにくくて、性別で分けられた服が気持ち悪かったです。性別で別れた集団に強い孤独感と焦燥感を感じ、銭湯など絶対に行けませんでした。入る場所も、着る服も、全部気持ち悪くて、そこはかとない不安が常に襲っていました。

『〇〇くん』『〇〇さん』と性別で呼び分けられると非常に胸が締め付けられ、不安に駆られ、テレビや新聞などの『容疑者の男は〜』とか『女は〜』、『女性は〜』、『男性は〜』の単語にいちいち反応してしまって、自分を責められている気分になり苦しくなります。

ひどい時には希死念慮で頭がいっぱいになり何も考えられなくなってしまう状態にまで陥ってしまうことすらありました。

おそらく、これが「強迫性障害」と診断された所以ですが、苦しみもなく社会の「性別」という概念に合わせて生きていけたならどんなに楽かと思いますし、できるならとっくにそうしていることでしょう。


自分の意識でどうにかできる範疇をはるかに超えた焦燥感と孤独感で胸がいっぱいになり、どうにもできなくなってしまうのです。

それでも、最近はだいぶ我慢できるようになりました。

そんなことは、他の人から見たらくだらなくて、浅はかで、社会に合わせられない自分勝手な考えだという風に映るかもしれませんが、それは私が一番深く理解しています。

でも、この気持ちをどうすることもできなくて、こうやって文章に吐き出すと楽にはなりますが、それも一時的なことで、なんの意味もないこともちゃんとわかっているつもりです。


うまい具合に保健室に引きこもったり、体育は見学したりと、辛い時は同級生と上手に距離を置いていたものの、距離をおけば置くほどに強まる孤独感に耐えられず、近づくと苦しくなるのはわかっているのに近づいてしまって、余計に自分を苦しめるという結果になってしまったりもしました。


ギターボーカルをしたくて軽音楽部に入るも最初に組んだバンドは知らないうちに解散してたり、一人で弾き語りで活動をしたりもしていましたが、同級生や先輩からずっと「くん」をつけて呼ばれるのが気持ち悪くて、それのせいもあって人間関係も全然うまくいかなくて、他の人に悪意はないのはわかっていましたが、それが余計に言いにくくて、本当に居心地が悪かったです。

そんな時に、掛け持ちでいいから合唱部に入らないかと言われました。

合唱というと性別で分かれているイメージが強いですが、少人数だったこともあり、アルトパートとテノールパートをどっちもやらしてくれたりもしていました。

結構好き勝手することができて、苦しい学校生活の唯一の居場所になっていきます。

将来に希望が持てなかった私は、音楽の道に希望を見出していきます。

また、合唱のおかげで多少楽譜も読めたので、いろいろ考えた挙句に音楽大学を目指すことになります。


その頃、軽音部とは別でギターを使って作詞作曲を始めたり、音楽活動もしていました。

その頃に持っていたPCで、初めてギターと自作の歌を安いピンマイクで録音したり、歌ってみたをニコニコ動画に出すのですが、一番最初に来たコメントは『音痴』。散々な音質だったこともあり、あまり再生数も伸びないままログインできなくなり、一旦動画投稿はしなくなります。

そのあと「nana」という音源投稿アプリで、童謡のウクレレカバーを投稿したり、いろいろな声の出し方の研究などを始めました。とはいっても、ほとんどは自分の声や演奏を聴き直して残しておく目的で使用しています。

あまり他の人と交流してファンを増やそうとか思わなかったのは、自分の声にも自信がなかったし、Twitterの音楽業界の恋愛の話ばっかりな感じや、性別の押し付けの強さを強く感じていたからです。

たまに開いたツイキャスではやたら性別を聞かれて、一応めんどくさいから「男」だと名乗ってはいましたが、コメントでは「地声を出せ」とか「裏声やめろ」とかいうことを散々言われて傷つく一方だったので、ネット上での関係の人は一回切ってしまいました。

ほとんどギターの弾き語りでの、自己満足な作詞作曲ばかりしていましたが、ある時DAWソフトに出会って今までの音楽活動が一変します。

いろんな楽器の音が出る魔法のようなこのソフトの存在は、本当に衝撃的でした。


幸か不幸か、コロナの影響でスーツを着用する入学式は中止になり、苦手だった人間関係もほとんどと言っていいほど無くなります。

4月の一ヶ月間は、大学の授業も停止していてかなり暇だったので、またTwitterで音楽関係の人と繋がって、本格的に動画投稿を始めます。

高校時代にTwitterで知り合っていたような、ギターを弾き語りするアナログの層とはまた別の人々で、完全にインターネット上で活躍している方々と繋がりました。そこでは以前のような性別や恋愛を押し付けるようなことを言ってくる人はほとんどいなくなり、私のことも結構理解してくれる方ばかりで、かなり快適に活動できています。

最近は、いわゆるセクシャルマイノリティの方々と繋がっていたアカウントとくっつけて、思ってるけど歌えないモヤモヤを思いっきってボカロに歌わせたら、一気に再生数が伸びて、自分の仲間をたくさん見つけられた気がしました。

その影響もあって、苦手な人が一気に自分のそばから離れていって、私の考え方が好きっていっていただける方々がたくさん周りについてくれて、嫌なこともまだまだ多いけれど、それなりに今は幸せになっていると自分に言い聞かせています。

結局、大学でも「くん」「さん」の呼び分けが強いと感じますし、それなりにキャラクターを演じる必要もあったりはしますが、それ以外の場所であまりストレスは感じていないので、まあいっかと思うようにしています。


時折、性的違和に関して、『女子トイレに入りたいからだろう』とか、『女子風呂を覗く口実だ』という意見がTwitter上では見られますが、まず気持ち悪くなるほど嫌悪感を抱いている性別について色々言及される可能性のあることは控えますし、もしそのような人がいても一緒くたにされたくないとも思います。

男子トイレにも女子トイレにも入りにくく、銭湯で他人の裸を覗くことに嫌悪感を覚える私は、むしろ違う意味でおかしいのでしょうか。

その発想に至るほどに広まった、「異性愛者で性欲旺盛の男性」を、これでもかというほど押し付けられるこの世界が本当に嫌になってしまいます。

そもそも、このようなことが言われる原因として、「異性愛者で性欲旺盛の男性」を「男性間の関係性」の中では求めるくせに、「女性差別」の討論などではそれを罪深き概念として攻撃対象にしていることなど、「男性」と分類されるものに対して、賛否両極端の意見を同時に押し付けている価値観のせいというのもあります。

私が逃げてきた「男性間の関係性」の世界では、いわゆる「女性に興味のない者」が「同性愛者」で「女っぽい」と集団に潰しあげられ、それを違うと否定して笑いを取ることがよく行われていました。


ここで正解とされてきた「女性を下に見て性的に消費しなければならない」という価値観、「異質なものへの嫌悪」は「男性」の中で非常に強く共有されていることは事実ですし、私がここまで苦しくなってしまう原因の一つです。

また、それこそが「男性」たるものであるという価値観自体も、色々な人を傷つけることにつながっているのも事実なはずなのです。

しかし、社会にはおかしなことも多いです。


なぜか「女性差別解消」を語っている人が、社会的に「男性」と分類される人全員が「女性を下に見て性的に消費しなければならない」という価値観であると決めつけていたりして、その価値観や行為自体を否定しながらも、さも「男性」たるものそうであるといったセクハラじみた論調に聞こえてしまっていることがいることが多くあります。

差別を解消するはずがその人自体が差別主義者になってしまうこともあり、カテゴライズの根深さと理不尽さとやるせなさがあります。

差別解消のための話し合いは分類上の性別間の言い争いではなく、その差別や区別による差をなるべく埋めることに努めるべきだと思うのですが、なぜそうなってしまうのか不思議でなりません。

事実として、私は恋愛における触れ合いや関係性を得意としませんが、あまり信じてくれる人も少なくて、「異性愛者で性欲旺盛な男性」がモテるために恋愛に興味ない発言をしているとか、『恋愛はこれからだ』とか、「同性愛者」かもしれないからとか、人間の恋愛欲求を絶対的なものとして信じている人は多く、特に「男性」という固定観念で見てくる人からのそれは顕著でした。

それが一方では差別の原因で、汚いものとして扱われているにも関わらずです。

この世界から性別という概念が全て消えることはきっと無理ですし、その性別という概念を拠り所にして生きている人がいるのもまた事実です。それを否定するつもりは全くありませんし、むしろそれを受け入れなくして、私の主張は何たるや否やといったものです。

しかしながら、性別という勝手に当てはめられた区別が受け入れられなくて苦しんでいる人を無視して押し付けて、それがさも存在しないもの、一時的な迷言の類として扱われてしまうのには非常に苦しく思います。


また、「自分らしく」という言葉がありますが、自分の中にいる「自分」というキャラクターにこだわって精神を病んでしまうことにもつながりかねません。

「個性」や「多様性」という言葉がありますが、それは思い悩む痛み苦しみすらも含んでしまい、それすらも「個性」「多様性」と言われてしまったら、それは何も変わらないことになります。

結局それらはある人から見たら答えですが、私から見たら全く答えにならないわけです。

それらに共通するのって、『みんな違う考えを持ってて、私には理解できないから、各人それぞれ自分の考えを持って自由に頑張れ』みたいな、何の解決にもならないけどとりあえず対処しといた風を装って、何となく水に流しておいただけにすぎないように思います。

もちろんそれで納得して気楽になるならいいのですが、私としては『結局何が言いたかったんだよ』って言いたくなってしまいます。

そもそも生きていること自体に意味なんて求められなくて、生きてることの中にある様々なこともまた、意味なんて求められないと思います。

どんなことにも答えなんてなくて、その答えを一生懸命出そうとするから苦しむのだと思います。

最終的に解けたと思えた答えも、それは答えでも間違いでもなくて、「共有できる人数の多い回答」でしかないんだと感じてしまいます。誰かとの共有がうまくいけば、答えが出せたと錯覚してしまうことでしょう。

つまりは多数派の回答がいわゆる正解とされるわけで、それが完璧な答えというわけではありません。

「少数派」とは「少数派の中の多数派」であり、その「少数派の中の多数派」の回答が「多数派」になれば、また違う意見の「少数派の中の多数派」が現れて争い出すことでしょう。そして「少数派の中の少数派」とされた意見は存在すらなくなります。

本当は一番の解決策としては、それぞれの回答の立場を理解し、それを分別せずに個人の回答としてしっかり受け止めることが大切なんだと思います。

ただし、地球上何十億といる人間全員の意見を聞くのなんて無理ですし、日本の人口ですらそれは難しいので、結局「多数派」と「少数派の中の多数派」くらいに分類した意見しか聞けないのでしょう。


正直、こんな感じだと生きていくのもやっとだし、色々なことが気になって、常に世界にひとりぼっちの気分です。

将来なんか不安しかないし、答えなんか求められないのはわかっているのに、自分が何のために生きているのかの答えをつい探してしまうことも多いです。

しかし、人生の全てが無意味であっても、こうやって文章に起こして、音楽を作って、誰かに伝えていくことで、自分や自分に似た気持ちの人が、これから先少しでも思い悩むことのないように、苦しむことのないように手助けはできると思います。

YouTubeのコメント欄に大量に書かれた共感のコメントに、Twitterでいつもリプライとかいいねをくれるフォロワーの存在に、これだけの仲間がいると常に励まされています。

こんな私でも結局は死なずに生きることを選んでいるのは、そんな何かに希望を見出しているからだと思います。

中野ゆの

中野ゆの(@yunoatto)のHPです。

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