世界でひとりぼっちな気持ち
最近、誰といてもずっと孤独感がつきまとってきて寂しいのに、なぜか常にじっと誰かに見られている気がして怖いんです。
私自身の心も自分の意思とは関係なしに晴れたり曇ったりして、一体自分は誰なのだろうという不安と、いつか消えてしまう世界に対する虚無感、それなのに感じる投げやりで自暴自棄な自信はどこから湧き上がるのか不思議で、それも自分の意思とは関係のないところで起きていまして、そもそも誰かに操られているのではないかという気さえしてきます。
橋から見える富士山とか、夜中の窓辺から見える月とか、駅の人混みも規則正しく動く電車も、私を取り巻く全ての世界に現実感を感じられなくて、ずっと長い夢を見ているのではないかとか、本当はこの世界自体存在しなくて、私一人だけの世界でただ空想の中に埋もれているだけではないでしょうか。
そもそも私にはこの世界が始まった記憶がなくて、気がついたら小学生でいつの間にか中学生で、今の高校に至るまで、思い出せること全部わけがわからなくて、関連性も見出せません。思い出してる時点で作り出した空想の記憶なのではないかと思い、今見えている世界だけを信じるのであれども、今まで見てきた世界全部が否定されてしまうような気がして怖いです。もしかしたら一秒前の私は違う人のような気がするし、どうしてここにいるのかも、ここがあることの証明もできない気がします。
今の私が私のままいることも怖くて、変わることも別人になってしまう気がして、今の私を殺してしまう気がして怖いです。まあそもそも常に流れる刹那の一コマ一コマ全部違う自分がいて、ずっと死につずけているのだとしたらあまり気にしても仕方ない気もします。
時間の流れについて話した時に、未来に行くマシンは高速で世界を壊して早回ししていて、過去に行くマシンが現在不可能だと言われているのは、過去がすでに壊れてしまった世界であるからだとか、今の世界を全部壊して過去のデータを持ってくることができるのであれば過去にいけるけれど、それは他でもなく過去を再現した未来に行っているのだとかで、世界を壊しながら未来に行っていることには他ならないのだと思います。
常に死に続けている世界と人間とで、自分の感情の記憶を保つのは自分しかいなくて、それがたとえ感情によって捏造された世界だとしてもそれは自分にとって事実だと思えば事実だし、私としてはそれが自分だとも思います。
最高潮に自分勝手な話ですが、自分の観測できない範囲では全員死んでるか生きているかもわからないし、私が目をつむれば音と触覚のみの世界となり、目と耳を完全になくせば、皮膚から伝わる電気信号以外は物体として存在せず、世界の全てが消えていると言っても過言ではないのです。
そんな曖昧な世界で生きているので、私自身がどのように生きるかとか考えていれば、それはもうすでに実現したも等しくて、だけど実現したところで虚しくて、誰かが何か評価してくれても、自分の空想のなかで自画自賛しているみたいで、私としてはどうも寂しくて虚しく感じ、それでも何か反応がないとそれはそれで生きているという気もしなくて、どうにもこうにもできない虚しさはそんなことから生まれてくるのかなとも感じます。
結局無意識のうちに、自分自身によって今の自分に殺意を持って監視されて、それに抗うには現状の自分を保つことしかできないけど、現状の自分自身は苦しくてそれを変えたくて、変えるには殺すしかなくて、こんな気持ちのはけ口が自分にしか向かないことが孤独感に繋がってる気がします。
誰に話しても伝わらないモヤモヤと、伝わったところで自己満足で終わってしまいのだろうなという虚無感とであまりこんなことを長々と書いていても意味もない気もして、それでもどうにもならないモヤモヤをどうにかするにはこうやって文章にしないと、たとえ自己満足で終わったとしても心は落ち着かない気もします。
こんなこと考えてても仕方ないですね。明日の私はもっと前向きな私になれるように、でも消えてゆく今日の私も明日の私は覚えていてほしいエゴとともにこんな文章を残します。
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